金曜日, 1月 27, 2006

大学院教育に関する所感

●Piled Higher and Deeperの本が届いたので,息抜きに読んでいる.この話は米国における大学院生のそれであって,或いは英国でも同じようなところもあるかもしれない が,少なくとも俺の場合は,斯くも悲惨ではない(笑).研究費という概念がどれだけあるのかわからないが,せいぜいうちの場合は,コンピューター関係にか かる経費であり,これは学科が管理しているものなので,よくわからない.あとほかにかかるとしたら,紙と鉛筆代(笑).これ,学生の自腹(笑).実験系の ところでは,例えば同じ流体でも,工学部のReynolds研などは,Goldstein研究所と共同で研究費を企業との共同研究という名目で以て捻出し たりしているのかもしれないが,実態はよく知らない.それでも,PhDプロジェクトに対するファンドという概念はあり,俺の場合,ORSがそれに相当して いて,或いはほかにもうひとつ大きいのがあるくらいで,でもこれらは学費に対する奨学金という方が正確であり,結局,ザ・研究費,というようなことを意識 することはない.したがって,ファンドが切れたから,馘というような話はあまり聞かない.だいたいその前に,これは米国も同様だが,センスなしと判断され て馘ということの方が儘ある.

●そういった意味では,日本で考えていた「欧米スタイル」という一括りにした見方は,あまり正しくない.結 局一番シビアなのは米国スタイルだが,それはシ ビアであると同時に,RAという立場で金をもらいながら研究できたりするので,悪いばかりでもない.英国でもRAというのはあるのかもしれないが,俺の周 辺に限っていえば,あくまで我々は学生である.尤も,学生の中にも階級があるので(笑),その最上部にいる者としては,その優遇にはたびたび助けられてい る.

●日本と英国と米国の大学院の在り方を見ていると,それぞれ一長一短で,昨今は日本の大学院も米国型になりつつあるように見受けられ る.俺は英国の大学院 で大学院生をやっているから,えこひいきかもしれないが,やっぱり英国型が一番いいと思っている.米国型のは非常に現実主義的というか,或いは悪く言えば 結果主義的というか,ある側面においては,この契約型は,研究を促進する効果があるけれども,英国型に慣れた自分としては,やっぱりそれじゃあ,ちょっと 疲れちゃうよなあ,と思うことがある.昨今,日本同様に,英国の大学も米国型化しているものの(例えば藤原正彦さんの『はるかなるケンブリッジ』),しか し,根底には英国流の緩やかな時間の流れがある.理論流体グループでのセミナーにしても,もちろん,議論の白熱するに伴って激しくなることはあれど,よく 言えば常に紳士的であり,言葉がそう乱れることもない.俺は議論は本来は立場に関係なく意見を言えることが最も大切なことと思うが,それが直ちに無礼講の 意とは異なると考えているので,意見は大学院生が一番の大ボスの発表に向かって,違うんじゃないか,ということはあっても,言葉に礼を失したところのない ことが,英国型の良いところだなあ,と思う.学生の拙い発表に対する議論の際にも,学生をとっちめるのではなく,常にそのテーマについて,どうすれば理解 できるか,解明できるかに主眼が置かれ,そうすることで自然と学生の視点を導いてやったり,ものの考え方を教えるというような風にいつも感ぜられる.

●まあ,とはいえ,これもひとつの在り方に過ぎず,英国型が合う人もいれば,米国型の方が合う人もいるわけで,必ずしもどれがいいとは断定できない.ただ,自分がもし学生を持つ立場に立つことになるなら,英国的な教師でありたいと昨今思うわけである.

妄言多謝.