木曜日, 2月 02, 2006

政争の具にするなかれ

朝日も必死に頑張っているようです.社説の書き方も,敵意丸出し.大人気ない.

いろいろ勉強してみて思うことであるが,現行憲法の「天皇制」というのは,それがそのまま天皇,天皇家を政治に巻き込むことを意味し,しかもその当事者か らは政治への関与を奪っているものである.この「天皇制」なる政治制度が続く限りは常に皇室は政争の具にされ,常に翻弄されてしまう.

皇室というものは「制度」などという陳腐なものによって「在らされている」ものなのではなく,富士山が政治的意味も機能もなく,それでも日本を代表する山 として在るようなものであるように,皇室もまた政治的なものとは一切無関係な存在であり,それが現行憲法に規定されるまでもなく日本国の,日本国民統合の 象徴であられるのだ,と俺は考えている.これは,甚だ感覚的ではあるが,ある意味で論理を超越した存在であると思うから,こういう認識でよいと思ってい る.

今,小泉さんがどう考えて,あの馬鹿げた有識者会議の結論を国会に諮ろうとしているのか,つかめないのであるが,もしあの法案が通るようなことになれば, いっそ俺は,日本が戦争に負けたときに近衞元首相が考えていたように,今上陛下はじめ皇族の皆様に京都へお還り頂いて,五摂家はじめ,崇敬者が皇族をお守 り申し上げていけばよいのではないかと,極端であるが,そう思うのである.京都にお還り頂くというのは,結局明治政府にしても東京という政治の中心地に天 皇を置くことで政治に皇室を巻き込んだのだし,政治と切り離すには,東京という土地からもとの京都へお還り頂くことで(全てが全てとはいわないが)可能に なると思うからである.

今のように政争の具にされ,浅はかな論理により,永く続く皇室の存在意義を失わせてしまうくらいならば,こうしたほうが,まだよいと思う.

俺は,未来の日本人に,平成の世の驕った日本人の一人に勘定されたくはない.
大化の改新から数えても1500年続くその伝統をただ純粋に尊く,美しいものと考えられる日本人でありたい.
壊すことは簡単なのである.続けることの方が難しいものである.
難しいから音をあげるのか.壊したいからなのか.或はどうでもいいからなのか.

大日本帝国憲法第三条を振り回した昭和軍閥と日本国憲法第四条を振り回している朝日のような連中とがまるで同じもののように見えてならない.「政治」に皇 室を巻き込んでいるという自覚なく(或は故意に無自覚のごとく振舞っているのか),何かしらの絶対性を得たかの如き倒錯性と驕り,両者に共通する点であ る.イデオロギーは異なるはずなのに,結局人間,右左に別れたとて,究極の形は同じであるといいうことか.

皇室を政争の具とすることの愚を知れ.
歴史という長い長い鎖の重みを無視できるほど平成の世の日本人は偉いのか.
驕りここに極まれるか.