木曜日, 4月 27, 2006

日本海軍の魚雷は凄かった

と,相も変わらず突拍子もないタイトルで始める今日の所感(笑).
い や,要するに,この前届いた本を早速読了して,でも,エーゴは見たくないので(笑),伊藤正徳の戦記を読み返していたりする.そんでもって,日本の魚雷 がどえらく凄かったというのは,航跡が見えないからだ,という記述にあたり,以前はなんとなく読み過ごしていたのだが,果たして航跡が見えないとはどうい うことか,ということを考え出して,調べたりしたのです.

今はだいぶ変わったのだろうけれど,大東亜戦争時の英米が使っていた魚雷は,いわゆる「普通」の魚雷で,高圧空気(最大200気圧くらいが限度だったらしい)でもって燃焼させ,機関を動かしていた.日本も九一式魚雷というやつはこの類の「普通魚雷」だったらしい.
この普通魚雷では,空気を燃焼させるのだが,燃えるのは酸素だけだから残りの窒素やらはそのまま排出されるわけで,実に8割がたが無駄な気体であると同時に,これらの気体が排出されて泡となり,それがいわゆる航跡となるわけである.
じゃ あ,酸素量をあげればいいというのは当時の三大海軍国(日米英)いずれも考えたようで,特に英国は一時期熱心にやって,どの程度の酸素量だったかはわ からないが,ともかくいわゆる「酸素魚雷」というのを採用したらしい.が,まもなく,爆発事故多発(水雷員はポマードをつけるのを禁止された由),採用中 止,普通魚雷に戻ったらしい.
一方,日本は軍縮で対米6割というトン数制限を喰らっていたので,武器の開発に躍起になったらしい.酸素魚雷に取り組むも,爆発事故で人がよく吹っ飛んだらしい.それでもやり続けたのは根性であるが,1933年に九三式酸素魚雷として,完成をみた.
で, この酸素魚雷の航跡がなぜ見えないのか,と調べてみたところ,「見えない」のではなく「見えにくい」というのが正しいようである.実際の戦闘時,波の 状況などによっては,「見えない」という表現もあながちまちがっていないようである.何故見えにくいかというと,敵艦近辺に達したとき,九三式では純酸素 を燃料に走っており,排出されるのは大量の水蒸気と二酸化炭素だけであり,深度5メートル内外で走るとき,海面に達するまでに多くの水蒸気は海水に溶け込 んでしまうらしい.それゆえ,「見えにくい」のだそうだ.伊藤氏によれば,敵艦船がこの魚雷にかかって爆沈乃至轟沈したとき,相手方は機雷にひっかかった か,潜水艦による肉薄攻撃だと(戦争が終わるまで)考えていたらしい.

まあ,どれだけすごいかっていうと,グラフにしてみたので,どうぞ.




ま ずこの図では,横に速力[ノット (1ノット=約1.852km/h)],縦にその速力での射程距離[km]をとってプロット.九三式についてはいくつか の速力に対しての射程距離がわかったので,3点をプロット.赤いバツは,その年号に日本海軍が開発乃至採用していた国産魚雷(但し1892,1895, 1929年のは,英国製の魚雷が採用されていたのでそれを記載).
大東亜戦争当時,快速の駆逐艦でだいたい35ノット前後で設計されてあるから,魚雷はやはり40ノット以上ないと役に立たない.それを考えて,九三式は50ノットで2万メートル走ってなおかつ航跡がほとんどわからないというのだから,脅威的というか,これは本当にすごい.




で, 九三式の凄い点はもう一つあって,炸薬が通常魚雷(英米)で300kgなのに対して,九三式では500kg積んであったこと.これは無駄な気体を含まない 分だけそこに炸薬がつめられたためらしい.それゆえ,こういう計算が成り立つかはわからないが,魚雷の威力として,速力×射程×炸薬量という量で以て評価 した場合,上のグラフの通り,オーダーが一つ違う.500kgの炸薬で,巡洋艦程度を爆沈できたらしい.さらに艦政本部の要求で出来た九三式改三型なる魚 雷は炸薬800kgつんだらしい.まあ,おおけりゃいいってもんでもなかろうが,当たれば,轟沈間違いない.


ちょっとあわててグラフ描いたりしたので,整理不十分だけれども,ともかく凄い魚雷であったことは間違いない.日本もそれだけ凄いのを作って三大海軍国の一つとして君臨したときも,確かにあったのである.

今の時代なら,ミサイル開発なんだろうけれど,ミサイル技術の平和利用であるロケットですらうまくいってない日本.これ,どうしたんだ,と.ミサイル開発 はそれはそれで,実質の仮想敵国である(仮想かどうか甚だ怪しいが,ともかくそう書いておく)北朝鮮の日本出張所たる総連なんぞにデータを盜まれたんだ が,提供したんだかしらないが,そんな会社もあるのには,本当に困ったもんである.

月曜日, 4月 24, 2006

読後感

先週半ばに,D論のドラフトを仕上げて先生のところへ投げてきたの
で,昨今,暇.
いや,暇なはずはないのだが,論文そのものはしばらく見ないことにしている.
一つに,暫く置いてから読み直す方が,文章のおかしさや構成の不具合もわかるから,
また一つに,どうせ,真っ赤になって帰ってくるから(参考:Piled Higher and Deeper 2006年3月7日分)
さらにも一つ,ともかくもう「PhD dissertation」とかという言葉を見たくも聞きたくもないから(笑).
---半分冗談で,半分本気(笑).

この一週間ほどは,パイプをぱかぱかやりながら,じっくり各種論文考究に取り組んでいる.
以前にも読んである論文でも,何が言いたいんだかわからなかったりしたものも多かったのだが,改めてじっくり論文に取り組んでみると,納得のいったりする ことがあるから不思議.あと,文の調子や内容がいやに冷静でないと疑問だった論文が別途読んだ論文中にあらわれる持論への反論に対する更なる反論論文であ ることを知るなど,なかなか面白い.なかなかこうしてじっくり論文考究に取り組めなかったから,よい機会であると喜んでいる.それもこれも,口頭試問の為 なり(苦笑).

とはいえ,毎日毎日エーゴばかり読んで暮らすのはちと辛い.なので,日本語の本が読みたくてしようがなかった本日,実家より荷物が届き,その中に古本屋に注文しておいた2冊の本が入っていたので,早速それに取り掛かり,即日,一冊読了.

『海軍主計大尉 小泉信吉』 小泉信三 著 (文藝春秋刊)

以前同著者の手になる『平生のこころがけ』を引用したが,かの本読了以来(いや今もしばしば読み返している),すっかりこの人の文章に惚れ込み,何よりそ の考えなど大変尊敬できると思いまた見習わねばと思われることもあり,今回古本屋で頼んだのは,二冊とも,小泉信三氏の著書であったりする.

今日読了したこの本は,信三氏のご令息信吉氏について書かれたいわば伝記である.親の手になる子の伝記というだけで痛ましいが,果たして如何なるものなるか,と読んでみた.
簡潔にして,無駄のない文章に,かえってその悲しみを見る気がした.

以下,心に残った箇所.出征する信吉氏に宛て信三氏が手紙に書いたこと:

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 君の出征に臨んで言って置く.
 吾々両親は,完全に君に満足し,君をわが子とすることを何より誇りとしている.僕は若し生まれ替って妻を択べといわれたら,幾度でも君のお母様を択ぶ. 同様に,若しわが子を択ぶということが出来るものなら,吾々二人は必ず君を択ぶ.人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない.君はなお父母に孝 養を尽くしたいと思っているかも知れないが,吾々夫婦は,今日までの二十四年の間に凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた.親に対し,妹に対 し,なお仕残したことがあると思ってはならぬ.今日特にこのことを君に言って置く.
 今,国の存亡を賭して戦う日は来た.君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足であろう.二十四年という年月は長くは ないが,君の今日までの生活は,如何なる人にも恥しくない,悔ゆるところなき立派な生活である.お母様のこと,加代,妙のことは必ず僕が引き受けた.
 お祖父様の孫らしく,又吾々夫婦の息子らしく,戦うことを期待する.

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この手紙をキザだと見るか何とみるかは人次第と思う.
ともかく考えさせられたのは,果たして俺が仮に信三氏の立場にあったとして,ここまでのことを言って出征する子供を送り出せるかどうかという点,また更 に,俺が息子という立場にあるという事実に於いて果たして俺は信吉氏のごとく,両親をして斯く言わしめるごとき息子で在り得たかという点についてである. 前者については想像の域を脱しないから別として,後者については,我が両親は果たして何と言うかわからぬけれど,自身を振り返るに,甚だ情けない気持ちに ならざるを得ない.

この本を読んでいる最中常に頭に浮かんでいたことがあった.我が家の菩提寺の院主さんが法事の際におっしゃられた言葉,
「<親が死に,子が死に,孫が死に>これが一番いいのです」
なんてとんでもないことを言う坊主だ,と俺を含め周りの親戚一同そう思ったことに相違ないが,要するに院主さんの言わんとすることは,親,子,孫と順々に 死んでいくのなら,仮にそれが少しまわりより早かろうとも幸せとするべきだ,もしこの順番が狂って,先に死ぬべきものが残されたら,それは長生きしても辛 いものだ,というような意味だった.俺はこの実例を我が曾祖母に見る.即ち,実子二人共に先に逝かれ,常々,自分は業が深いのだ,というようなことを言っ ては嘆いていた.

国家の急の秋とはいえ,子供に先に逝かれるより親として辛いことはなかろう.それを超越した点において書かれた上の手紙は,果てしなく重いものだとつくづ く思われた.人の命は地球より重いとかなんとかという標語は胡散臭いが,親の愛は何よりも大きく深い,とは古今東西普遍の事実であろう.

火曜日, 4月 11, 2006

我が所感を表す歌

源実朝による歌

大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも

何の因果か,今日ゲームセットを言い渡されて,この歌を目にした.以前にも目にしたことが何度かあるが,今日ほどこの歌が脳天に突き刺さるような思いをし たことはなかった.この歌が,一つに,この三年間の己の姿と,また一つに縁あったとしての将来の意気とをよく表してくれる.

月曜日, 4月 10, 2006

ゲームセット

凡フライ.
ゲームセット.

金曜日, 4月 07, 2006

現状

試合状況をお伝えします.
現在,九回裏二死満塁.
「アラキ」は三点ビハインド.
打者がこれからバッターボックスに向かいます.

火曜日, 4月 04, 2006

またまた久しぶり

このところ,D論を書いております.
なので,ネットからも遠ざかっております.
それゆえ,日に一度か2日一度くらい,メールチェックすると,一日30通前後スパムメールが来ています.
重要なメールはごくまれに1,2通.
メールというものの存在意義を考えさせられています(苦笑).

D論を書いてはいるのだけれど,やはり,本来出てなきゃいけない答えが出てないパートの章を書くのは辛いです.この数日,ずっとそこで糞詰まってます.解 けず,尻餅つきましたということを学位論文に書けというのはどだい無理な話なので,どうしようもないです.日に数度,この後半が空白になっている章に向 かっては鬱になっています.

とりあえず,今日はD論の約半分くらいはともかく書きあがったので(もちろん校正必要)印刷してきた.この調子だと,だいたい120から150くらいの頁 数になりそう.しょぼいです.しょぼすぎです.下手すりゃ日本のマスター論文にさえ劣るかもしれない.---博士課程で卒業論文を書いている荒木です.ご めんなさい.