日本海軍の魚雷は凄かった
と,相も変わらず突拍子もないタイトルで始める今日の所感(笑).
い や,要するに,この前届いた本を早速読了して,でも,エーゴは見たくないので(笑),伊藤正徳の戦記を読み返していたりする.そんでもって,日本の魚雷 がどえらく凄かったというのは,航跡が見えないからだ,という記述にあたり,以前はなんとなく読み過ごしていたのだが,果たして航跡が見えないとはどうい うことか,ということを考え出して,調べたりしたのです.
今はだいぶ変わったのだろうけれど,大東亜戦争時の英米が使っていた魚雷は,いわゆる「普通」の魚雷で,高圧空気(最大200気圧くらいが限度だったらしい)でもって燃焼させ,機関を動かしていた.日本も九一式魚雷というやつはこの類の「普通魚雷」だったらしい.
この普通魚雷では,空気を燃焼させるのだが,燃えるのは酸素だけだから残りの窒素やらはそのまま排出されるわけで,実に8割がたが無駄な気体であると同時に,これらの気体が排出されて泡となり,それがいわゆる航跡となるわけである.
じゃ あ,酸素量をあげればいいというのは当時の三大海軍国(日米英)いずれも考えたようで,特に英国は一時期熱心にやって,どの程度の酸素量だったかはわ からないが,ともかくいわゆる「酸素魚雷」というのを採用したらしい.が,まもなく,爆発事故多発(水雷員はポマードをつけるのを禁止された由),採用中 止,普通魚雷に戻ったらしい.
一方,日本は軍縮で対米6割というトン数制限を喰らっていたので,武器の開発に躍起になったらしい.酸素魚雷に取り組むも,爆発事故で人がよく吹っ飛んだらしい.それでもやり続けたのは根性であるが,1933年に九三式酸素魚雷として,完成をみた.
で, この酸素魚雷の航跡がなぜ見えないのか,と調べてみたところ,「見えない」のではなく「見えにくい」というのが正しいようである.実際の戦闘時,波の 状況などによっては,「見えない」という表現もあながちまちがっていないようである.何故見えにくいかというと,敵艦近辺に達したとき,九三式では純酸素 を燃料に走っており,排出されるのは大量の水蒸気と二酸化炭素だけであり,深度5メートル内外で走るとき,海面に達するまでに多くの水蒸気は海水に溶け込 んでしまうらしい.それゆえ,「見えにくい」のだそうだ.伊藤氏によれば,敵艦船がこの魚雷にかかって爆沈乃至轟沈したとき,相手方は機雷にひっかかった か,潜水艦による肉薄攻撃だと(戦争が終わるまで)考えていたらしい.
まあ,どれだけすごいかっていうと,グラフにしてみたので,どうぞ.

ま ずこの図では,横に速力[ノット (1ノット=約1.852km/h)],縦にその速力での射程距離[km]をとってプロット.九三式についてはいくつか の速力に対しての射程距離がわかったので,3点をプロット.赤いバツは,その年号に日本海軍が開発乃至採用していた国産魚雷(但し1892,1895, 1929年のは,英国製の魚雷が採用されていたのでそれを記載).
大東亜戦争当時,快速の駆逐艦でだいたい35ノット前後で設計されてあるから,魚雷はやはり40ノット以上ないと役に立たない.それを考えて,九三式は50ノットで2万メートル走ってなおかつ航跡がほとんどわからないというのだから,脅威的というか,これは本当にすごい.

で, 九三式の凄い点はもう一つあって,炸薬が通常魚雷(英米)で300kgなのに対して,九三式では500kg積んであったこと.これは無駄な気体を含まない 分だけそこに炸薬がつめられたためらしい.それゆえ,こういう計算が成り立つかはわからないが,魚雷の威力として,速力×射程×炸薬量という量で以て評価 した場合,上のグラフの通り,オーダーが一つ違う.500kgの炸薬で,巡洋艦程度を爆沈できたらしい.さらに艦政本部の要求で出来た九三式改三型なる魚 雷は炸薬800kgつんだらしい.まあ,おおけりゃいいってもんでもなかろうが,当たれば,轟沈間違いない.
ちょっとあわててグラフ描いたりしたので,整理不十分だけれども,ともかく凄い魚雷であったことは間違いない.日本もそれだけ凄いのを作って三大海軍国の一つとして君臨したときも,確かにあったのである.
今の時代なら,ミサイル開発なんだろうけれど,ミサイル技術の平和利用であるロケットですらうまくいってない日本.これ,どうしたんだ,と.ミサイル開発 はそれはそれで,実質の仮想敵国である(仮想かどうか甚だ怪しいが,ともかくそう書いておく)北朝鮮の日本出張所たる総連なんぞにデータを盜まれたんだ が,提供したんだかしらないが,そんな会社もあるのには,本当に困ったもんである.

