陸軍の恋,海軍の恋
また,突拍子もない題目である.かみさんと話をして居ったところで,ふとしたはずみに,陸軍の軍人と海軍の軍人それぞれの恋なるものに言い及び,内心密かに面白いと思ったわけなので,せっかくだから,ブログにも書いておこうかと.
ここに挙げる軍人は,陸軍軍人として,森鴎外(陸軍軍医総監).海軍軍人として広瀬武夫(海軍中佐).
おそらく,すぐさま突っ込みを入れたくなる人選であることは承知している.いくらなんでも,武骨漢の代表選手広瀬武夫と,その正反対に位置するような鴎外 とを同じ軍人というカテゴリーに入れてしまうことは,滅茶というものである.それと知りながら,敢えてこの人選には目を瞑る.
鴎外に関しては大した説明もいらないかと思うが,軍人としては,かの乃木大将とも交友のあった人物であり,また,満洲の広野に日本陸軍軍人の屍を幾万と曝 した張本人である.軍医が作戦指揮をとるはずもないのだから,何ゆえかというと,「脚気」ウィルス説を頑なに主張してやまなかったのが鴎外なのであり,戦 死させたのではなく,約3万もの将兵を脚気により病死させたのである.海軍のほうでは,麦が脚気に効くということを英国海軍の方から知り,麦飯をまぜて食 べさせ,これが効を奏したという実績を持っていたのに,である.
他方,広瀬武夫とは誰であるか.文部省唱歌『広瀬中佐』にある「杉野は何処.杉野は居ずや」のセリフで有名であり,敗戦までは神田の万世橋に広瀬中佐と杉 野兵曹長の銅像があったそうである(この銅像はGHQにより撤去された由).広瀬は日露戦役において,第2回旅順港閉塞作戦に従事,福井丸を指揮したが, 旅順港からの砲撃の砲弾に身体を四散させ戦死した.阿川弘之氏の著述によれば,九州男児を地で行くかなりの武骨漢であり,尉官時代は相当の攘夷家であった 由.ちなみに,流体の柘植先生も,「本物」或は「真男児」として山岡鉄舟などとともにこの広瀬の名を挙げている.
さて,片や女々しい限りの陸軍の鴎外に,片や武骨漢広瀬.あまりに両極端の例であり,題目のごとき,陸軍と海軍の対比としては的確ではないかもしれない. 或は明治軍人の恋とでもしたほうが良いか.それは,ともかく,そのような全くの共通項のないようにみえる,鴎外と広瀬であるが,唯一の共通点がある.それ は海外留学中における現地女性との恋愛である.まずはよく知られた鴎外の恋愛から見ていきたい.
いうまでもなく,鴎外は本職の医師としての他に,卓越した文筆家でもあった.その作品は多くの人の知るところである.ここでは,『舞姫』を取り上げる.- --個人的にこの作品は正統な日本語で綴られており,文章それ自体は大変気に入っているのであるが,如何せん,扱った内容がいけ好かない.これを高校の時 に授業で読み,期末対策としてクラスの連中を相手に補習講義を垂れた覚えがあるのだが,その時の基本姿勢はやはり,ろくでもないやつである,という(自分 のことは棚に上げて)見方であった(学校では教えないことまで教えたから,級友には受けが良かった).今もやはり,この作品を好きにはなれない.しかし, 敢えて,今回これを書くにあたり,読み直してみた.日本語は美しいのに...まあ,繰り返してもしようがない.
『舞姫』では主人公がドイツへ留学することを取り扱った「私小説」である.つまり鴎外がドイツへ留学した(明治17年?21年)のことを描いたものであ る.小説の方では,相手の女性,エリスは,その日の生活にも困るような貧しい家庭の少女として描かれているが,現実のほうはどうやらそうでないと考えるべ きである.何となれば,帰朝した鴎外を追ってこの相手の女性は,<かの時代において>ドイツより遠路はるばる日本へやって来たのであるから.鴎外はこの 追ってきた女性とは会わず,兄弟が彼女を「説得」し,ドイツへ帰らせたとある.いくらかの金を積んだのだろう.『舞姫』では,こういった汚点に触れないた めに,「エリス」を発狂させている.
一方,広瀬は,明治30年から35年までロシアに留学.この間,広瀬はロシアの知識階級との交流をもった.なかでも,ロシア海軍水路部長,子爵コヴァレフ スキー少将とその家族は広瀬を大変気に入り,家に呼んでともに食事をしたりすることから始まり,かなり親密に交流したようである.とりわけ,子爵の次女, アリアズナ・ウラジミーロヴナ・コヴァレフスカヤはすっかり広瀬に惚れ込んだようである.広瀬もただアリアズナの情に絆されただけ,或は異国の地で寂しさ から人肌を恋しく思った,というようなものではなく,「仮ニ武夫ガ縁アリテ碧眼金髪ノ児ヲ御紹介申ス機有之候ヘバ御義絶ナドト御憤慨披遊間候ヤ....」 などという手紙を嫂宛に出していることからも,かなり真剣の恋愛だったことが想像される.コヴァレフスキー少将の広瀬に対するもてなしを考えると,子爵も また,アリアズナの気持ちも当然ながら,広瀬を婿にとまで思っていたのではなかろうか.---結局,広瀬がロシアを発つまでに,二人の関係がどの程度まで 進んだのか定かでない.広瀬は34の男であり,また相手のアリアズナは19,20のうら若き女性である.広瀬が武骨であるから...しかし当時ならもう十 分大人の女性として認められる年齢のアリアズナだったのだし...まあ,邪推はよしておこう.さて,広瀬がロシアを発った明治35年より僅か二年後,日本 は朝鮮半島へ向けて南下するロシアに起った---日露戦争である.そして,開戦から一ヶ月のちの旅順港閉塞作戦で広瀬は戦死する.(以上広瀬に関しては阿 川弘之『日本海軍に捧ぐ』(PHP文庫)の「荒城の月」を参照)
以上が,陸の鴎外,海の広瀬の異国における恋愛模様である.鴎外の分が悪いのは,やっぱりそれは俺が『舞姫』が嫌いだからである(笑).その辺を差し引い て読んでいただければよいかと思うが,しかし,それでも,どうしたって広瀬に分があるのは致し方あるまい.結婚までも考えた,本気の恋愛をした女の国と干 戈を交えることになり,そしてその戦争で肉体を四散させて絶命した,というその事実それだけでそこいらの三文小説などより余程立派な小説となろう.自己弁 護に終始した『舞姫』はやはりこれには敵うまい.
明治の時代とは,もはや歴史となった過去のことであるが,明治生まれの曾祖母(昭和天皇と同じ明治34年に生まれたことを生涯の誇りとしていた)と15年 生活したことから,俺にはどうもそんなに昔のことのごとく思われないこともあって,明治人間に深い興味を抱いている次第である.そんなことから,ふと今日 は以上のような話を書いてみた.
以上,長々駄文にお付き合いいただきありがとうございました.


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