火曜日, 1月 31, 2006

メンタームとサイダーと祖父

●昨日,かみさんと話をしていて,何の拍子だかにメンソレータムの話が出た.メンソレータムとはあの軟膏のことである.それでふと思い出されたのが,祖父 が「メンタン」と呼んでよく愛用していたこと.調べてみたら,メンソレータムというのは,1920年にアメリカから近江兄弟社が輸入しはじめたというか ら,歴史は古い.その後,昭和49年近江兄弟社が倒産,翌年,ロート製薬がメンソレータム販売権を取得,さらには米国本社を買収し現在に至るのであるが, これはメンソレータムの話.倒産し,再建に向けて近江兄弟社は残ったメンソレータム製造ラインを使って「メンターム」なる,類似商品を作ったのだそうであ る.俺はてっきり同じものかと思っていたが,違うようである.まあ,成分的にはほとんどかわらないのであろうが.祖父がメンソレータム或はメンターム(メ ンタンという訛りからすれば,メンタームを使っていたのかもしれない)を使っていたのは,戦前から,一種の万能軟膏薬として普及していたためかもしれな い.

●そんなことを考えていると,生前祖父が三ツ矢サイダーを愛飲していたことを思い出した.これは最近になって結びついたことだが,いわゆる「ラムネ」が戦 前は一種の貴重な飲み物で,軍隊でも例えば飛行機乗りなんかは,水杯がわりにラムネを数人でわけて飲み,飛んで行ったという話を知るに至り,こういう戦前 の頃からのものゆえに,愛飲していたのかなあ,と.
三ツ矢サイダーの歴史は古く,調べてみて驚いたが,実家の隣の市,兵庫県になるが,川西市で初めて作られた飲み物なんだそうである.曰く,鉱泉を利用し, それにシロップをまぜて作ったのが最初だそうである.もともとこの鉱泉(平野鉱泉)から皇室にお納めする炭酸水が作られていたのだそうだ.最初のサイダー の販売は諸説あるが,いずれも明治末期.およそ100年の歴史をもつ飲料という計算になる.

●とりとめもないことを書いたが,ごく平凡な日常から,意外と面白いことが(いわゆるトリヴィアであるが)見出されるものだなあと,そんなことを思った次第.

月曜日, 1月 30, 2006

雑感

●先週半ば,計算上に矛盾点が見つかる.ある程度は予測されていたことだが,単純なデジェネレーションでないから,その解釈に困っている.それから,延々 と考え続けたが,何がなんだかわからなくなってきたので,嫌になり,週末,小説やらエッセイばかりを読んで自堕落に過ごす.日曜の夕方,頭の凝り固まった ものがなくなったんじゃなかろうか,と再び計算を見直し,いろいろと考えるが,相変わらずよくわからない.しょうがないから,アナロジーが効きそうな81 年のSmithの論文の研究をした.結局,アナロジーが効きそうと思われたことが幻想であっただけのこととわかって,うんざりする.とりあえず,ミーティ ング用の報告書を書き上げた.先生に相談せねば進めることのできない己の無能が苛立たしい.

●最近思うこと.母国語に於ける単語選択に伴 うニュアンスの差異などに対する感覚が鋭敏であるか,それとも鈍感であるかが,外国語を運用するに際しても表 れると思う.つまり,こういう言語感覚(そんな言葉があるのか知らないが)というものは,深層における部分では共通なのかもしれない,とそんなどうでもよ いことを考えた.これは,早い話が,己の英語の品のなさを言い訳するものであるが,むしろ,母国語でさえ,ろくすっぽその運用能力のないことを露呈し,た だ恥ずかしいだけかもしれない.こんなことを考えるに至ったのは,渡英間もないころ,近所のパン屋で買い物して,何を言ったんだか忘れたが,何かをともか く店員のオバサンに言ったら,「あなたも紳士ならば,そういう言葉遣いはいけません」とこっぴどく叱られたからである.断っておくが,若者言葉的であった かもしれないが,決して無礼な言葉を使ったわけではない.ともかく,そんな厳しいオジサマ、オバサマの住む,とんでもなく保守的な町に住んでいるせいもあ るかもしれない.これは反抗で以て書かれているのではなく,むしろ,いろいろ教わったなあ,とそういう感慨で以て書かれているのである.如何に紳士たるか を実践的に教わった.それは英語を流暢に話せるとか,立ち居振る舞いが英国人らしいとかそういうことではなく,普遍的に成り立つような紳士道であったよう に思う.---ただし,俺が果たして紳士たりえているかは,また別の話である.---こんなおかしなことを書いているのは,研究がどうしようもない糞詰まりに陥っているからである.だが,正直な滞英三年目の感想でもある.

金曜日, 1月 27, 2006

Mozart

モーツァルトの生誕250周年ということで,英国でもBBCなんかが演奏の中継をしたりしている.
先日帰国していた折には,小柴先生がモーツァルトがお好きということをマスコミがやたらと強調したり,情操教育に良いとかということをしきりに強調したり して,それを聞きつけた世のお母さんがたがこぞってモーツァルトのCDを子供の教育のためにと買いに行っているとか,いないとか(笑).
音楽にヒーリング效果があったりするのは確かだろうし,或は統計的にいえばモーツァルトは情操教育とやらに良い效果があるのかもしれない.

---と,少々ネガティブな論調であるのは,俺があまりモーツァルトのことを好きでないからである(笑).
俺が数ある作曲家の中で最も好きなのは,J. S. Bach.
パイプオルガンの,あの圧倒的な重量感,それでいて高音の響き.それを見事に調和させ,神々しく仕上げられたアンタはエライ!と,まあ,そう思うわけです (笑).俺はクラッシックにおけるテクニックのことなど,全くわからないから,そういった技術論でいえば,まあ,いろいろあるんだろうが,なにせ素人です から,すごいなあ,とただそれだけで好きである,でいいんじゃないかと.

ふと,BBCの中継を見て,あんまりモーツァルトが好きじゃない俺は,ついこんなことを書いたのでした(笑).モーツァルト好きな方,ごめんなさい.

ちなみに,一般人に,好きなクラッシックの作曲家の投票をしてもらったら,一体どういう結果になるんだろう.うちのような小さなブログじゃあ,母集団が小さすぎるからつまらない.どこか大手さんがやってくれないかな,と,そんなことを興味本位で思っている次第である.

大学院教育に関する所感

●Piled Higher and Deeperの本が届いたので,息抜きに読んでいる.この話は米国における大学院生のそれであって,或いは英国でも同じようなところもあるかもしれない が,少なくとも俺の場合は,斯くも悲惨ではない(笑).研究費という概念がどれだけあるのかわからないが,せいぜいうちの場合は,コンピューター関係にか かる経費であり,これは学科が管理しているものなので,よくわからない.あとほかにかかるとしたら,紙と鉛筆代(笑).これ,学生の自腹(笑).実験系の ところでは,例えば同じ流体でも,工学部のReynolds研などは,Goldstein研究所と共同で研究費を企業との共同研究という名目で以て捻出し たりしているのかもしれないが,実態はよく知らない.それでも,PhDプロジェクトに対するファンドという概念はあり,俺の場合,ORSがそれに相当して いて,或いはほかにもうひとつ大きいのがあるくらいで,でもこれらは学費に対する奨学金という方が正確であり,結局,ザ・研究費,というようなことを意識 することはない.したがって,ファンドが切れたから,馘というような話はあまり聞かない.だいたいその前に,これは米国も同様だが,センスなしと判断され て馘ということの方が儘ある.

●そういった意味では,日本で考えていた「欧米スタイル」という一括りにした見方は,あまり正しくない.結 局一番シビアなのは米国スタイルだが,それはシ ビアであると同時に,RAという立場で金をもらいながら研究できたりするので,悪いばかりでもない.英国でもRAというのはあるのかもしれないが,俺の周 辺に限っていえば,あくまで我々は学生である.尤も,学生の中にも階級があるので(笑),その最上部にいる者としては,その優遇にはたびたび助けられてい る.

●日本と英国と米国の大学院の在り方を見ていると,それぞれ一長一短で,昨今は日本の大学院も米国型になりつつあるように見受けられ る.俺は英国の大学院 で大学院生をやっているから,えこひいきかもしれないが,やっぱり英国型が一番いいと思っている.米国型のは非常に現実主義的というか,或いは悪く言えば 結果主義的というか,ある側面においては,この契約型は,研究を促進する効果があるけれども,英国型に慣れた自分としては,やっぱりそれじゃあ,ちょっと 疲れちゃうよなあ,と思うことがある.昨今,日本同様に,英国の大学も米国型化しているものの(例えば藤原正彦さんの『はるかなるケンブリッジ』),しか し,根底には英国流の緩やかな時間の流れがある.理論流体グループでのセミナーにしても,もちろん,議論の白熱するに伴って激しくなることはあれど,よく 言えば常に紳士的であり,言葉がそう乱れることもない.俺は議論は本来は立場に関係なく意見を言えることが最も大切なことと思うが,それが直ちに無礼講の 意とは異なると考えているので,意見は大学院生が一番の大ボスの発表に向かって,違うんじゃないか,ということはあっても,言葉に礼を失したところのない ことが,英国型の良いところだなあ,と思う.学生の拙い発表に対する議論の際にも,学生をとっちめるのではなく,常にそのテーマについて,どうすれば理解 できるか,解明できるかに主眼が置かれ,そうすることで自然と学生の視点を導いてやったり,ものの考え方を教えるというような風にいつも感ぜられる.

●まあ,とはいえ,これもひとつの在り方に過ぎず,英国型が合う人もいれば,米国型の方が合う人もいるわけで,必ずしもどれがいいとは断定できない.ただ,自分がもし学生を持つ立場に立つことになるなら,英国的な教師でありたいと昨今思うわけである.

妄言多謝.

火曜日, 1月 24, 2006

世はヴァレンタインなのですか?

日本ではもう,ヴァレンタイン商戦が始まっているんでしょうか.
新聞を見てたら,ベルギー産高級チョコにアフリカ産ダイアモンドを2006個あしらった,アフリカ大陸の形をしたチョコレート,お値段5億円(税込み)というものが,マスコミに公開されたんだそうですけれど(苦笑).

まあ,それはそれとして,今さっきミーティングを終えて,帰りのバスを待つ間にブログを書いてたりします.いろいろと去年の三月からやった線型問題を整理しているところ.これでこの流れの物理をしっかり把握して,非線型問題へのてがかりを得たい.

土曜日, 1月 21, 2006

PhD

金野先生に教えていただいたPHD comicsは大変面白い.
特に先生が,これがおそらくは君の今の状態でしょう,と引いて下さったのが,
http://www.phdcomics.com/comics/archive.php?comicid=537
で,いや,まさにその通りで,それ以来,息抜きにこのPHD comicsのArchiveを漁っている.これは大學院生には涙なしには読めない作品である(笑).---Amazonでこの作品集が2冊出てたから,つい買っちゃった(笑).

ところで,先日ミーティングで先生と話をしたとき,「とうとう」と言おうか,「ようやく」と言おうか,D論の話になった.先生のお考えでは,このまま今 やっている非線型の相互作用問題がうまく片付かないようなら,これまでにやった最初のテーマと,それからこの1年でやった線型の相互作用問題まででまとめ て,D論にしても大丈夫だろう,とのこと.

線型問題も面白い結果は出ているのだが,これが30年前なら,一本の論文になるだろうが,今時これだけでは論文にすることもできない.その程度でまとめる ということになれば,これは要するに「頑張ったで賞」として博士か,或は審査によっては修士をもらって終わることになりそうである.まあ,それはそれで俺 の愚鈍ゆえの結果であるからしようがないけれども,どうせならば,やはり与えられた問題を納得いくところまで仕上げて帰りたい---学位をもらえようがも らえまいが.

まあ,ともかくこの数ヶ月が正念場です.頑張ります.

金曜日, 1月 20, 2006

雀の親に学ぶ

帰国翌日だったか翌々日だったかの話.
朝,起きて,飯を食べに台所へ行ったところ,食卓の上に扁平なザルが置いてあった.
タオルがしかれ,その上にぽつんと雀が横たわっている.

俺の朝飯?---高校の頃,連れと焼き鳥屋で呑んだ時,「すずめ」というのがメニューにあるので,面白半分で頼んだら,さて出てきたのが,雀の姿焼き.さすがの俺も連れも絶句して,箸をつけられなかったという,そんな遠い記憶が呼び起こされたわけで.

もちろん,その雀が俺の朝食というわけではなく,お袋が朝,家の周りを掃除していたら,道にこの雀が落ちていたんだそうで,放って置いたら,車に轢かれてしまうから,と家に連れ帰ったのだそうだ.

しかし,そのザルの上の雀はぴくりともしない.まるで死んでいるかのよう.少しつついてみたら,微かに動くから,まだ死んではいないようだが,虫の息であることには間違いない.

お 袋の話では,その落ちた雀の上を親らしき雀が鳴きながら飛んでいたということだから,推測するに,巣立ちの練習中に落ちたらしい.現に,一日と経たぬ内 に,その小雀が元気になったものの,羽ばたきはしても,飛ぶことままならない.羽根の感じがおかしいように見えたので,或は生まれつき羽根に障害があるの かとも思われたが,今放てば,間違いなく野良猫の餌食となるであろうから,しばらくは我が家で様子を見るほかない.

野生のものを飼うことはその対象にとって決してよいことではないから,出来得る限り速やかに外に逃がしてやらねばならない.しかし,それもこれも,この小雀が自ら飛べるようにならなければどうしようもない.

-- -結局,そのまま年を越し,一週間ほどしたころのこと.俺とかみさんは,東京の方へ行って帰ってきた日のことである.雀を入れていた籠にはもはやその 姿なし.かみさんがそのことをお袋に訊いたところ,その日の昼,飛んでいったのだそうだ.---ただ,飛んでいっただけでないから,敢えて俺もこのブログ に書こうと思ったわけなのだが,それではどういうことが起きたのか.玄関を開け放って掃除をしていたお袋が,家に戻ると,家の中を雀が飛んでおり,さては 籠から逃げたかと,籠を調べればちゃんとそこには小雀がいる.家の中を飛び回る雀は籠に呼びかけるかのように鳴き,隙をみては,籠にとまる.どうやら,こ の侵入者は,小雀の親らしい.籠を開ければ,今まで飛べなかったはずの小雀が見事に親の後ろについて飛び,そして,暫く後に親雀とともに外へ飛んで行った のである.

この話を聞いて,ふと思い出されたのが,Iron Eagleという映画で,戦闘機ものの話なのだが,捕虜になった親父を息子が単身敵地にF-16で乗り込んで救出するという,まあ,現実的には到底不可能 ごとの話なのだが,或はこの息子と,侵入者たる親雀の心境とは相通ずるものがあるのではなかったかということである.普通,家の中に,いくら玄関が開け放 たれてあるからといって,野生の雀が入ってくることはまずない.意図的に侵入してきたと考えるのが妥当である.然らば,それはまさに敵地に単身乗り込むと いうことであって,どれほど恐ろしいことか.そしてその恐ろしさを退けるほどの,親心というものの強さをこれに知る.

妹の話によれ ば,鳥篭を買ってからは,昼の日のあるうちに,前栽(庭)に面した座敷の廊下に置いておき,あるとき気付いたことには,窓の外から雀が一羽,付 近を行ったり来たり,鳴きながら飛んでいたそうである.---おそらくこれは親雀であろう.そしてここに自分の子が保護(親雀に言わせれば恐らく「拿捕抑 留」) されていることを知ったのであろう.

さすがに,この話を聞いたときは,心温まる思いがしたが,一方で子供を狙った事件や或は親と しての自覚ない者による事件などが,ある意味で当たり前のよう に毎日耳にされる昨今,改めて親とは斯くあるべしということを,掌ほどの大きさの雀に教わったと,痛感した.特に,最近何かにつけて将来のことなど考える ときは,まだいないけれども,いずれは持つことになるであろう,子供のことを考えることが多い.その実感には乏しいものの,精一杯の想像力で以てして,親 としていかにあるべきか,いかになすべきかをよく考える.だから,なおのこと,この親雀の決死の覚悟には,感服させられ,そして自分も斯くあろうと強く 思った次第である.


[802]
瓜食めば 子等おもほゆ 栗食めば ましてしのはゆ いづくより 來たりしものぞ まなかひに もとな懸りて 安眠し寝さぬ
(うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしのはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ)

[803](反歌) 
銀も 金も玉も 何せむに まされる寶 子に如かめやも
(しろがねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)

以上,山上憶良(万葉集所収).


------------
[追記 1/20 13:37(GMT)]

以上の話にはちょっとした後日談がある.
小雀が親雀とともに我が家を脱出(笑)した翌日の朝.
俺が朝飯を食べてから近所のコンビニへ新聞を買いに行った帰り,我が家の庭に二羽の雀が.一匹は大きく,また一匹は小さい雀.おそらくは,かの親子であろう.

或る人は斯く言うか.「御礼に来たのだ」と.
また或る人は斯く言うか.「小雀が『あの家でタダ飯が食える』と親雀に言ったにちがいない」と(笑).

果たしていずれが真であるか.

木曜日, 1月 19, 2006

ライブドアショック

ライブドアショック---阿呆らし.

経団連やらマスコミやらの迎合的態度などが結局こういうのを助長したと言えるんじゃないかと.
全くもってつまらぬ話.

そもそも俺は堀江氏のツラが気に入らんので,ひいてはライブドアも嫌い(笑).
以上.

火曜日, 1月 17, 2006

日本語テスト

さっき一つ書いたばかりだが,かみさんに教えてもらったATOKのページに日本語テストなるものがあり,それをやってみた.30問の選択方式.

結果:71点 ボキャブラリーを増やそう

の由.総合平均が59.6点であるから,平均以上ではあるが,本人としては80点は最低でも取れるつもりだったから,少々情けないところ.英語よりもまず日本語を磨きなおさにゃいかんかと思う.

興味ある方はお試しあれ.期間は2月28日まで.
ATOK presents 全国一斉!日本語テスト

へっついさん

我が家では毎年12月30日に餅つきをする.
餅つきといっても,杵,臼でつくことはもうやらず,器械で「こねまわす」ことで餅に仕上げる.
ただ,半端ない量のもち米を蒸すことになるので,炊飯器では追いつかない.
そこで,登場するのが,今,日本全国でどれほどの数のものが稼動しているやもわからぬ,「かまど」で炊くのである.村の中にはかまどの外周だけ残して火はガス,というようにしているところが殆どであるなか,我が家のかまどは,未だ薪を使用する.嘘のようだが,ホントの話.

今年は年末親父が仕事でほとんど居らず,したがって,薪の準備は俺の仕事.なたを納屋で振り回し,翌日は案の定筋肉痛(苦笑).

まあ,それはともかく,朝早くより,お袋主導で,今年も餅つき.
かみさんには初めての体験であり,驚きの連続であったようである.
考えてもみれば,俺など物心ついてより二十余年この方,これが毎年当たり前の行事であり,特別でなどあるはずもないが,かみさんのように,現在のごく一般的な家庭で育った者にとっては,これが驚愕以外のものであろうはずがないわけである.
しかし,やがてはかみさんも,今のお袋同様に,家族を牛耳り(笑),毎年餅つきをやるようになるのであろう.

右 の写真が我が家で今尚,現役稼動中のかまどである.昨今はもちろん,この毎年の餅つきの時以外は静かに眠っている.なお,由来は知らぬが,このかまどの ことを「へっついさん」と呼ぶ.「さん」はいわゆる「誰々さん」の「さん」で,京都弁の影響と考えられる.限られた地域の方言か何かかと思うが,由来を知 る方居られたら,教えていただきたい.

月曜日, 1月 16, 2006

京都伏見

帰国中,予定の空いた日に京都伏見へ行ってきた.
かみさんの希望で,月桂冠大倉記念館.俺の希望で,桃山御陵と京都乃木神社.
写真でどうぞ.





JR桃山駅から東へ少し行ったところにある,御陵入り口の石碑.御陵の入り口はまた別に南正面からの長い階段のある入り口もある.



石碑を過ぎた先にある参道.大変長い.



明治天皇稜から見渡せる桃山の風景.(南向き)




暗くてわかりにくいが,桃山御陵のお膝元にある,乃木神社の鳥居.もちろん,赤坂のそれとは別.



神社正門.



これは月桂冠大倉記念館の中で撮ったもの.井戸.
ここで,電池切れ(苦笑).

日曜日, 1月 15, 2006

家系 その2

曾祖母がよく,礒七さんは「アヤベ」から来た,とよく言っていた.池田市に綾羽町はあるが,アヤベなるところはない.それで調べてみたら,京都府綾部市がどうやらそれにあたりそうである.

ところで,「荒木」という姓は,かなり古くからある姓のようで,起源は奈良時代前後に,伊勢の方で田をおこした一族に伊勢神宮から賜った姓「荒起田(荒木 田)」といわれる.なお,これを調べた本に依れば,荒木田系統には豪農が多かった由.我が家ももとは本家より土地を与えられて分家したくらいだから,本家 は相当大きな家だった模様.残念ながら,本家は敗戦後まもなく,絶えたそうであるが.

さてその荒木という氏にはいろいろの系統があるようで,大阪近辺では,摂津荒木氏というのがある.この摂津荒木氏というのは,現在の池田市に本拠を構えて いた池田氏に仕えた一族である.なお,この摂津荒木氏から,かの荒木村重(信長に謀反を起こし失敗.女子供含め殺され,絶家.---なお,この村重,秀吉 との戦いの際,我が家が代々氏子を務める八坂神社(京都祇園のそれではない)を燃やしたそうな)が出ている.この摂津荒木氏から神戸の花隈荒木氏が出てい る.池田市と由縁ある摂津荒木氏であるが,我が家とは直接の関係はなさそうである.即ち,曾祖母の言うところの「アヤベ」が京都の綾部市であるなら,その 方面での荒木姓の由来を見るべきかと.

そうして調べてみたところ,綾部市の近所に丹波があり,その方面では丹波波多野氏の系統から荒木氏が出ている.摂津荒木氏も,一説には伊勢荒木田氏の出と言われるが,丹波波多野氏から出たという説が有力だそうである.
さらに調べてみると,綾部市には地名に「荒木」の名が残っているから,どうやらこのあたりが,もしかすれば,我が家の本家に繋がるところかもしれない.

ただ,姓というのも,ちょっとしたことで別系統に移ったりするため,そう単純ではないようだが.

あともう一つは,我が家の家紋が,「丸に剣方波見」で,方波見紋はありふれた紋なのだが,剣が入るのは武家に多いそうで,このあたり,我が家のように武家 とは関係のなさそうな家がどうしてこの家紋を持つことになったのか知りたいところである.まあ,しかし,家紋というのも,姓以上に,何かの恩を受けたとか いろいろの理由で貰い受けたり等,変更されることも多いから,あまり重要性はなさそうであるが.


そんなこんなで,帰国中に何をやっていたかといって,こんなことを調べたりしておったわけで.
まあ,これだけ書いておいてなんだが,よくわからんですな(苦笑).
しかし,面白い調査ではありました.

家系 その1

家系なんて,知っていようがいまいが,別段自分の人生がどうこうなるということでもない.しかし,やはり自分のご先祖様のことを知りたいと,以前から思っ ていた.---このブログをお読みになる方にとっちゃ,どうでもよい話であろう.ブログ本来の備忘録的な役割で以て,まず知りえたところだけ記す.

生前,祖母が菩提寺の過去帳を調べて遺しておいてくれたものから分かった限りのことと,また生前曾祖母,祖母から聞かされた話とから,総合すると以下の如し.

我が家は,大阪府池田市の南にあると或る村に,分家として,本家より土地を与えられて移住した礒七から始まる.
(明治以降のことかと思ったが,過去帳を見ると,どうやら江戸末期,1800年前半に移住したものと考えられる)

ただ困ったことに,当時は名前が皆同じ(笑).過去帳には礒七祖父とか,書かれてあるのだが,どの礒七さんの祖父なんだかわからなかったり,江戸時代の頃の系譜は詳細の不明なところがある.礒七祖父という人は1840年代に亡くなっている.

そんな不明ななかで,夫婦ともに確実なところは,明治20年代に没した礒七さんである.

この明治の礒七さんの子供で跡を継いだのが寅吉さん.奧さんがツナさん.実は親父が生まれたとき,村中に男が生まれたと喜び話したという伝説をもつのがこのツナさん.親父が生まれた翌年に八十数歳で亡くなっている.

さて,この寅吉さんとツナさんの子供で,跡を継いだのが種三郎さん.奧さんがイトさんで,俺の曽祖父母.種三郎さんがまた伝説の持ち主なのである.戦前, 昭和始めのころのことであるが,当時は本家の方とも交流があり,自転車で本家の方へ行き,帰り酒に酔って坂道でひっくり返って亡くなった由.---俺も気 をつけないと(苦笑).
余談として,種三郎さんの兄弟で卯三郎さんという人がいるのだが,沒年が昭和21年とある.曾祖母や祖母がよく我が家の墓にある小さな墓石について,あと から来た人という話をしていたのだが,これがどうやら卯三郎さんのようである.曰く,弔うところがないから,実家である我が家でひきとりともに弔っている 由である.正確なことはわからないのだが,あとから来たということと,沒年とから,或は戦死されたのかもしれない.

さて,我が曾祖父母の子で,俺の祖母にあたる綾子さんがいて,復員間もない祖父信次郎さんが婿入りする.---つまり,俺は女系なんです(笑).まあ,し かし,平民の家にとっては,家の名を遺すことが大切なので,男系女系はあまり関係ないわけで,さらにいえば,家の名がつながるのなら,血の繋がりも関係な いと言えなくもない.まあ,このことは措いておきましょう.

そうして,ここからつながるのが,親父で,俺,というふうになって,明治の礒七さんからすると俺は6代目で,少し曖昧なところがあるが,礒七祖父という人が明治の礒七さんの祖父にあたり,この人のところで分家したとすると,俺は8代目ということになろうか.

まあ,そんなこんなで,少々曖昧なところは残れども,自分の直系のご先祖様についてずいぶん知ることができた.---まあ,読者にはどうでもよい話でしょうが(苦笑).

<次のエントリーで,も少し別の話>

土曜日, 1月 14, 2006

賀正

遅れ馳せながら,明けましておめでとうございます.
本年もこのどうしようもないブログをよろしくお願いいたします.